目指すはインカレ優勝
私たち東北大学漕艇部はボート競技で日本一、そして世界を本気で目指している集団です。2011年から男子部と女子部の二部制に体制変更をし、男子部では「全日本大学選手権(インカレ)」のエイト種目での優勝、女子部では舵手無しクォドルプル種目での優勝を目標に掲げ、日々練習に励んでいます。
震災による本拠地の移転
2011年に起こった東日本大震災は誰の記憶にも新しいでしょう。私たち東北大学漕艇部もその影響を大きく受けました。それまで練習水域として利用していた、名取市の貞山堀と名取艇庫は、海沿いに位置していたために津波の被害に遭いました。幸いなことに部員は全員無事でした。しかし艇庫の周りは瓦礫や土砂で埋まり、練習どころか生活すらもままならない状態となりました。
震災直後の恐怖と不安がある中、活動を続けるかどうか選択しなければなりませんでしが、最終的に私たちは漕ぎ続けることを選択し、「インカレ優勝」という目標を掲げ続けました。そして半年後、宮城県川崎町にある釜房ダムを新たな練習水域として見つけ出し、練習を再開しました。さらに、2021年の2月には宮城県岩沼市に新しく艇庫が作られました。岩沼艇庫は旧名取艇庫と同じように貞山堀に沿った場所に位置しており、私たちは10年の時を経て歴史の詰まった貞山堀に戻ることができたのです。2023年には10年以上ぶりに貞山堀で北海道大学定期戦が開催され、白熱したレースが繰り広げられました。私たちが現在漕いでいる貞山堀は10年以上前に先輩方が見ていた景色とは違ったものかもしれませんが、日本一を獲るという変わらぬ思いを胸に刻み、日々練習に取り組んでいます。その影では後援会である「東北大学図南会」の惜しみない援助がありました。現在、図南会の会員は1000名を超え、私たちの活動の大きな支えとなっています。
120年を超す伝統
東北大学漕艇部は旧制二高端艇部からの歴史を受け継ぎ、創部120年を超える伝統のある組織です。
1960年には東北大学クルーが日本代表としてローマオリンピックに出場。1978年に全日本選手権エイトで優勝。全日本大学選手権(インカレ)エイトでは1975年、1978年~1980年、1995年の計5回の優勝を果たしています。
近年では、2021年のインカレ男子舵手無しペア2位、女子クォドルプル3位、2022年の男子エイト4位、女子ダブルスカル2位を始め、全日本の大会で数々の入賞を果たしています。また、2006年7月にベルギーで開催されたワールドU23レガッタに2名の選手を日本代表として派遣しました。
充実した練習環境
宮城県岩沼市貞山堀と宮城県川崎町釜房湖、埼玉県戸田市戸田ボートコースにそれぞれ艇庫があり、設備・練習環境は大変充実しています。
岩沼艇庫
撮影者:株式会社 川澄・小林研二写真事務所
釜房艇庫
戸田艇庫
部歌
ああ天日 作歌:大塚貫一
一.
ああ天日の輝きに 光みなぎる緑杯や 澎湃潮の溢れ来て
金鼓轟く水の面 壮士一度櫂とれば 白波泡と砕け散る
二.
墨堤前に戦いに 北溟天は暗うして 将星ここに落ちし時
悲憤に咽ぶ丈夫が 唇きりし報復の 決死の誓固かりき
三.
二高の意気を身に負いて 勝たねばやまぬ七人が 五尺のむくろ感激の
熱き血潮にまみれつつ 再挙を計る二星霜 臥薪の夢を誰か知る
四.
驕傲覚めぬ向陵の 槿花の夢を破るべく 二高の力鉄槌と
乾坤ここに一擲の 覇を争わん我友の 意気と力に栄えあれや
鴎や春 作歌:湊勇雄
一.
鴎や春の歌のせて 眠りぞ深き隅田川
今白雪は消え果てゝ 緑萌え立つ岸の色
二.
金色の雲さゆらぎて 若き二高の陽映ゆる
永遠の勝利の曲軽き 波に宿せる芙蓉峰
三.
噫清き里五城樓 喜びの歌湧き出でて
友七人の勲は 北斗輝く二千載
北上川遠漕の歌 作詞:泉田尚男 作曲:小椋佳
一.
夏風薫る 礒伝い
芭蕉の愛でし 松島を
海鳥騒ぎ 友となり
小島を後に オール曳く
嗚呼 海の強者 いざ行かん
二.
歌にも広く 石巻
先人築く 大遺構
草いきれする 土堤踏み
北上川へと 艇移す
嗚呼 陸奥緩く 日は暮れて
三.
滔々流る 北上を
流されないで 流れずに
意気と力を 身において
若さを燃やす 波枕
嗚呼 青春の気は 高くして
四.
のぼり行く水 幾曲り
吾が背に散る 返し波
紺青溶いた 水の色
波斬る舳先の 快し
嗚呼 波の丈夫 いざ漕がん
五.
船梶泊めて 衣川
夏草やとか 詠みにけん
今尚誇る 平泉
毛越寺詣で 到達す
嗚呼 清涼にして 気は澄みぬ
六.
このうら寂し 天地に
気負い猛たる 三代の
栄華をとどむ 金色堂
刹那の行方 知らざらん
嗚呼 昔の光 今に充つ
七.
今旨酒を 酌み交わし
漕ぎ来し方を 眺めれば
気概達成 満ち張りて
青天の夢 誰か知る
嗚呼 我が輩よ とこしえに